刑務所や留置所における死者数が増加し、中国の人権の状態に関する新たな懸念材料になっている。2組の家族が証言した。
月曜日、「チャイニーズ・ヒューマンライツ・ディフェンダーズ(Chinese Human Rights Defenders)」は中国中央部、湖南 省 の活動家、王美餘(ワン・メイユ)さんが拘置所内で突然、原因不明の死を遂げたことを報告した。彼の妻、曹曙霞(ツァオ・シュファ)さんによると、政府は家族に状況を説明していないという。「彼らは、夫の死因について話そうとしません。それどころか、現場でもしも写真を撮れば、後で責任を負わせると言って脅してきました」。
王美餘さんは、2019年7月8日に湖南省長沙 市 の鉄道駅で逮捕された。習近平 主席ら政府高官の辞職を公の場で繰り返し呼びかけたのがその理由だ。7月10日、彼は湖南省衡陽市の 看守所 に送られ、「喧嘩をしてトラブルを起こした」として拘束された。
不幸にも、中国では拘束中の不自然な死が頻発している。家族が調査をしようとしても、政府が脅して妨害するため、そのような死の多くは一般に知られていない。そして真の死因は決して明らかにされない謎のままになっている。当局は、本当の原因(多くの場合、拘束者に対する拷問や虐待)を隠そうとありとあらゆるばかげた理由を持ち出す。なぜ人が拘束中に亡くなるのか。たとえば、「かくれんぼの最中」や「洗面中」、「転んだため」、あるいは「鶏肉の骨がのどに詰まった」ために死んでしまうのはなぜか。このような報道がなされたため、人を死なせる政府の権力濫用を嘲って、「かくれんぼ、格闘、洗面」という言い回しがよく使われるようになった。
2人の人物が、拘束された家族を亡くした悲劇をBitter Winterに語った。2人は迫害を恐れ、匿名を希望した。
若者が、拘束当日に死亡
2016年7月14日午前11時頃、中国南東部、福建省出身の若者が、失恋の辛さから 村 の通りに駐車してあった1台の車にこぶしをぶつけた。それを見た通行人らが警察に通報し、男性は地元の警察署に連行された。その日の午後5時頃、男性の父親は、息子が死んで遺体が火葬場に送られたことを警察から知らされた。
男性の友人たちと親族は遺体との対面を望んだ。そして火葬場に行くことを許されたが、写真撮影はできないため、電話を持ってこないように言われた。
遺体に多数のあざがあるのを見た近親者たちは、彼は殴られて死んだのだろうと考えた。
「胸にブロック状のあざが3か所見られ、腕と脚には黒い字がありました」と親族の1人は思い返した。「体全体が傷とあざだらけでした。殴られたために死んだに違いありません」
遺族の要求に応じて、法医学センターで検死が行われたが、結論は保留になり、悲嘆にくれる親族には公表されなかった。それから政府は、別の法医学研究所で改めて検死を行うことを一方的に決めた。
故人の親族は独自のコネを頼って非公表になっていた検死結果を入手した。それによると、彼が生きている間に外部の力が加えられたことが、体の各部にできた複数のあざの原因とされていた。重要なのは、頭蓋骨にいくつもの骨折が確認されたことだ。頭蓋基底が折れたために他にも多くの箇所が骨折し、リング状のへこみができていた。
家族が整形外科医に見解を聞いたところ、頭蓋基底の骨折とへこみは、電気警棒で垂直に殴られた場合の特徴と一致することを認めた。
それにもかかわらず、政府は事件の捜査を拒んだ。そこで、故人の家族は自分たちの権利を守り、正義を求めるための手段に出たが、無駄に終わった。彼らは政府への請願を試みる間に4度妨害され、脅しを受けた。
男性の死の責任を誰も負わない
中国中央部、河南省のある若者が、刑務所で服役中に疑わしい状況で死んだ。彼が刑に服していたのは、事故で人を傷つけ、その人が後に亡くなったためである。
2015年3月に家族が訪ねたとき、彼の意識は混濁し、両親の顔も分からないほどだった。若者は絶えずピクピクと震え、体を緊張させ、肩を異常に高くいからせ、こぶしを握り締め、歯を食いしばっていた。歩き方も不安定だった。
家族は、前回の訪問からわずか数か月間で、彼がなぜすっかり変わってしまったのか分からなかった。賄賂とコネを使って、家族は翌日再び男性を訪ねた。状態は悪化していた。既に歩くこともできず、2人の囚人に支えられていた。頭は垂れ、右目は突き出ていて、顔はあざだらけだった。彼は手で腕をこすりながら、錯乱状態で言った。「バクテリア…全部バクテリアのせいなんだ…」。
何があったのかと家族が尋ねると、彼は首を振って答えた。「分からない…。何を注射されたのか。何も覚えていない」。
その後、家族はもう一度コネを使って健康上の理由による仮釈放を求めようとした。しかし、刑務所当局は、彼が病気のふりをしたので、病院の診察で事実が露呈すれば、刑が2倍になると主張した。家族は断念せざるを得なかった。
1か月以上たった後、若者の両親は刑務所から電話を受け、息子が囚人たちに殴られて死んだことを知らされた。
家族は絶望した。彼の遺体を見ると、一面傷に覆われていて、無傷の部分がないほどだった。さらに、タバコを押し付けたような火傷や針を刺したようなあともあちこちについていた。
刑務所は若者の死の責任を負わないどころか、家族を脅して政府上層部に請願しないよう言い含めた。報復を恐れた家族は、譲歩せざるを得なかった。
陸小靜による報告