中国の研究者たちはバチカンと中国の合意は「ベトナムモデル」を踏襲していると指摘しているが、この解釈は誤っている。
マッシモ・イントロヴィーニャ(Massimo Introvigne)
2018年9月22日に北京で実現したバチカンと中国の合意の原動力となったピエトロ・パロリン枢機卿は、ベトナムモデルが生まれた1996年、教皇庁で諸外国との関係を担当する次官であり、副外務大臣に該当する職務に就いていた。パロリン枢機卿は当時、はベトナム政府と交渉を重ね、協定に署名した。この協定により、バチカン側は空いている教区に3名の候補者を推薦し、ベトナム政府、つまりベトナム共産党は1名を選ぶことになった。その後、バチカンは、ベトナムが選んだ候補者を司教に任命する。この協定は2010年に修正が加えられたものの、基本的な合意内容は変わっていない。
パロリン枢機卿は現在、バチカンの国務長官を務めており、自ら先頭に立って進めたベトナムモデルを中国でも再現すると想定することは自然だ。中国の研究者も同じことを指摘している。2016年12月、中国人民大学の国際情勢研究所およびEU研究センターで局長を務める王义桅(ワン・イイウェイ教授)は、「中国政府とバチカンは、2010年のバチカンとベトナムとの協定を採択する可能性が高く、表面上バチカンが司教を任命するものの、北京が事前に司教候補を指定することになる」と述べていた。2018年2月、中国共産党の英字新聞のグローバルタイムズ(Global Times)紙は、交渉の関係者は「司教の任命において中国とバチカンの双方が受け入れられる代案を模索していた。例えば、司教の任命における「ベトナムモデル」が参考になる。このモデルでは、ローマ法王はベトナム政府が提出したリストから司教を選択することができる」と指摘していた。
しかし実際にはグローバルタイムズの指摘には誤りがある。ベトナムとバチカンの合意では、司教の候補リストを提出するのはバチカンであり、司教を選択する側がベトナムであった。王教授の見解もカトリックの専門家から批判を受けていた。専門家たちは、バチカンから政府に提出される候補者は、事前にベトナム共産党が指定しているのではないと主張した。事実、候補者の大多数はイタリア、フランス、米国で研究を行ってきたベトナム人であり、ベトナム共産党が望むような司祭ではない。上級研究員のアンソニー・ラム(Anthony Lam)氏は、「政府が選んだ候補者だと言われたら、それは司教管区のカトリック教徒にとって大きな侮辱であり、到底受け入れられるものではない」とコメントしている。実際、ベトナム共産党に好都合の候補者がおらず、3名の候補者から1名を政府が選択する作業は、数年間遅れることがある。
当然だが、ベトナムモデルと、バチカンと中国の合意には共通点がある。どちらのケースにおいてもカトリック教会での司教の任命は、教皇庁と共産党との間で行われた交渉の結果であり、司教の選択において無神論派の政党が正式に重要な役割を担う。この意味では、ベトナムの前例があるため、中国とバチカンとの間の合意を「前例のない」合意とする指摘は誤っている。
しかし、中国の学界とメディアは、自らの政策に照らし合わせて、ベトナムモデルを解釈し、歪曲した。グローバルタイムズ紙は、ベトナムのカトリックにおいては「司教は単なる象徴的な信仰のステータス」だと指摘しているが、これは事実とはかけ離れている。ベトナム共産党が、とりわけ近年において、宗教の統制を強めていることは間違いないものの、司教は単なる名目上の指導者ではない。同紙の記事では、「今でも中国のカトリック教会は自ら司教を選ぶことにこだわっている、と中国は今でも強調している。従って、バチカンが妥協し、司教の選択と任命の権利を諦め、中国が選んだ司教の正当性を認める日がやって来る可能性がある」と報じ、中国とベトナムの違いを説明していた。
「中国のカトリック教会が選んだ」司教という言い方は、「中国共産党が選んだ」司教のプロパガンダ的な言い方だ。これはベトナムモデルではなく、中国がバチカンとの交渉で求めていた結果である。ご存知のとおり、合意の内容は明かされていないが、ベトナムモデルの反対(もしくはグローバルタイムズ紙が意図的、または、無意識に誤って解釈したベトナムモデル)だと考えられている。つまり、政府が3名の候補を選び、バチカンが1名を任命する。または、政府が1名の候補者を指名するものの、バチカンは拒否権を持ち、この場合、中国共産党は別の候補者を提案する。いずれにせよ、時が経てば分かることであり、秘密の協定の秘密が永遠に保たれるケースはほとんどない。一見すると、パロリン枢機卿は、20年前にベトナムと行った取引よりもひどい取引をしてしまったように思える。